ひびはんせい

3人の子のカーチャン。みんな違ってみんなcrazy

つらさを人と比べないでほしい

こないだ実家に鬱休養で帰った時(自分の親がクソ親だと忘れてて(いや忘れていない、きっとこんな時だから助けてくれると期待した*1のに、全く休めずに結果的に泣きながら帰って余計体調悪化した)、1週間いる予定を短くして5日で帰ることを決めた日の朝、父親に今日帰るって報告をした時、

「お前は自分だけがつらいつらい言いすぎだ」

と言われてしまったのだけど、それが今頃になってボディブローのようにわたしのメンタルにじわじわと効いてきてる。

わたしは自分のつらさと他人のつらさを比べるのってすごく無意味だと思っていて、だって、同じ出来事でも感じ方なんて人それぞれなわけで、それを比べるのってなんの意味があるのか全然わからない。

同じ事だって楽しいと思う人もいれば、つらいっておもう人もいるだろうし、ほんとうに感情を比べるのは無意味だと思う。

 

 

ヒトは多かれ少なかれ、みんなつらさを抱えて生きていると思う。

抱えてるつらさが少なめの時はつらさをたくさん抱えてる人をサポートして、逆につらさがたくさんになっちゃった時はつらさが少ない人にサポートしてもらう、これで良くない?ってわたしは常々思っている。困った時はお互いさま、って気持ちでてきとうにやろうぜ!みたいな。

だけど、わたしの父親はどうやらそういう考えではなくて

「俺もお母さんもみんなつらいんだから、お前も我慢しろ」

って考え方をしているようだ。

 

わたしは彼らのつらさを否定する気は一切ないけど、でも、じゃあどうして「つらいから助けて欲しい」とSOSを出した時に「こちらもつらいのでそれはできない」と拒否をしてくれなかったのかな、それがわからない。

確かに祖父が亡くなったあとで色々な手続きをしているそんな時に行ったわたしも悪かったと思うけど、だけどその「つらさ」を言葉にもしなかったのは両親、つまりわたしにその「つらさ」を察して動け、ってことだったのかな。

 

気持ちなんて言葉に出さないと伝わらないし、特に余裕のないわたしに察することなんて無理だ。余裕がある時だって無理かもしれない。

わたしはあの実家に帰ったタイミング、本当につらかった。

仕事のこと、転職のこと、娘の不登校のこと、保育園の送迎のこと、ワンオペ3人育児、色んなことが重なって心も身体もボロボロだった。

そのつらさを否定しないでほしかったし、誰かのつらさと比べないでほしかった。

 

わたしのつらさはわたしのもの。あなたのつらさはあなたのもの。

比べないで、認めあうだけでいいじゃん。

 

そう思ってるのに「お前は自分だけがつらいつらい言いすぎだ」のたった一言のせいで、なんだか地獄にいるような気持ちだ。

 

 

追記:この文章だとわたしが実家でめっちゃ「つらいつらい」と喚き散らしてきたかのように見えるなーと思ったから書いとく。

実はわたしほぼ実家で「つらい」と言ってないです。

何をしたかと言うと

  • 鬱の影響+薬の副作用で寝ていることが多かった
  • 怒る気力もなくて、ゲームとYouTubeを見まくる子供たちを怒ることをあまりしていなかった(それは休みに行くから、という理由で了承済みだった)
  • 色々あって母に子供の頃に何がつらかったのか?という事を根掘り葉掘り聞き出されて(わたしはとても嫌だし話すつもりもなかった)、その当時嫌だったことや、つらかった事を話した

おそらく、この辺の事を指して父はわたしに「自分だけがつらいと言い過ぎ」と言ったのではないかという予想。

基本的に自分の思った通りにコトが運ばないと平気で(というかわざと)ヒトを傷つける事を言う人なので、その一環で言ったんだろうなぁ。

だけど、父も母も医療関係者なのに、病状も薬の副作用も全く理解してくれなかったのはつらい。

わたしはそんな薬剤師になりたくないって心底思った。

ありがとう、反面教師。

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

*1:それが結果的に大間違いの大失敗だった