わたしとオヤジと筋肉と
わたしが父親のことを「父親」と思わなくなって何年経っただろう。
わたしはいつの頃からか父親のことを「一緒に住んでるよくわからないけどなんかおもしろいオッサン」と認識するようになっていた。
そうなったのは、15歳の時にわたしと家族の間に重大な亀裂が入った事件が起きたあの時かもしれないし、わたしがまだ5歳くらいの小さい時、両親と弟と海に行った時だったかもしれない。
15歳の頃のエピソードはなかなかにハードなので語りづらいものがあるので割愛するが、子供の頃に一緒に海に行った時のエピソードをひとつ、紹介したい。
親もただのヒトだと気づいた5歳
子供の頃って親に対して万能感というか、なんでも知ってるしなんでもできるすごい人!って気持ち持ってませんでしたか?
みんながどうなのかは知らないけど、わたしはそれまでずっとそう思っていました。
あれはだいたいわたしが5歳くらいの夏の日。
海が近い所で生まれ育ったわたしは、たまに家族で海水浴に行ったりしていた。
そんなある日、今日は海水浴行くかー!と父親が言い出し、海水浴に行くことになった。
今でも覚えてる。お気に入りの赤と青のアラレちゃんの水着を着てワクワクしているわたし。
浮き輪に空気を入れて海に行くぞー!と張り切る父と母と弟。
とても楽しい時間だったことを覚えてる。
そして、海について海に入るぞって時、父はわたしに浮き輪をつけてくれてこう言った。
「お父さんは大人だからな!浮き輪がなくても大丈夫!!だから深いところまでお父さんが連れてってやる!!」
わたしは浮き輪なしじゃ足もつかないしこわくて海に入れないのに、お父さんは浮き輪なしで、しかもわたしを深いところにまで連れて行ってくれる!?すごい!カッコイイ!!!さすがお父さん!!!!
幼いわたしは父のかっこよさと逞しさと万能感に惚れ惚れし、どこまで連れてってくれるのかなーとワクワクしていた。
そしてわたしと父は海に入った。
浮き輪に入ったわたしの浮き輪をつかんで浮き輪なしで海の奥の方までスイスイと連れて行ってくれる父の姿は、5歳のわたしにとっては本当に惚れ惚れするほどカッコよかった。
そして時折浮き輪から手を離し海に立ち、「ほらな!お父さんは大丈夫だろ!」また浮き輪につかまってスイーっと泳いで「ここまで来ても大丈夫!!」なんてお父さんって凄いんだろう、どこまで行っても足が海の底につくお父さんに、わたしは本当に惚れ惚れしていた。
たまに手を離して海に立って大人のオトコのカッコ良さをアピールしながら海の奥の方に進む父。そしてそれに感動するわたし。
そして、事件は起きた。
「ほーら、こんなところまで来て手を離しても、だいじょ…うわっ!?」
そう、父の背ではそこに立つことが出来ず、なんと溺れかけてしまったのだ。
慌てふためく父、何も出来ないわたし。
さっきまでのカッコイイお父さんはどこ?この慌てふためく人は誰?
溺れかけてる父を前にわたしは父に対する今までの昂る感情が消えてしまっていくのを感じた。
その後、自力でわたしの浮き輪を掴んで陸まで2人で戻り事なきを得たのは本当に幸いなことだったと思う。
それと同時にわたしは気づいてしまったのだ、
親は万能じゃないし、なんでもできるわけではない
と。わたしの信じてた万能の父というものは最初から存在していなかったのだ。
その後、子供用の浮き輪を無理やり身体に押し込んで泳いでる姿や、それがとれなくなってあたふたしてる姿を見たらさらにその気持ちが強まり、なんだ、やっぱりこの人はすごい人なんかじゃなくて普通のヒトなんだなと思った。
たぶん、それからわたしの父への態度は今までの尊敬に満ちた態度ではなくどこか冷めた感じの態度になったのではないかと思う。
きっと、ここがわたしと父の関係性のターニングポイントになったのだろうと思う。
筋肉に傾倒していく父
父が40を数年過ぎた頃、ダイエットを兼ねて始めた筋トレ先でトレーナーの人に言われた「ハルカ父さん才能あるね〜、ボディビルやってみたら?」その一言から、父は筋トレにどハマりし傾倒していく。
その頃わたしはもう大学生だったので家から出ていたから詳しくは知らないが、毎日が筋肉のための食事、納豆にタレはかけないし外食先でも赤みのステーキ(味付けなし)でオーダー(塩分をとるとむくんで体重が増えるのでボディビルやってる人は塩分を控えるそうだ)、仕事が終われば即ジムにトレーニングに行く、日焼けしていると筋肉がカッコよく見えるので毎日海に行き日焼けをしてたこともあるし、自営業に切り替わった時は家の屋根の上でほぼ全裸になり日焼けしたり(ほんと理解のあるご近所さんでよかった、ほんとなら通報されるでしょ!)、自宅に日焼けマシーンを導入したり、それはそれはやりたい放題な日々を過ごしていた。
大会に出たり、高齢ボディビルダーとしてラジオに呼ばれたり、なんだか楽しそうな毎日を過ごしていたようだ。
その頃、わたしは大学1年生か2年生くらいで、実家を離れて九州に住んでいた。
帰るのはたまの長期休暇のみで、顔を合わせるのはその時だけ、連絡もほぼとらない、という関係性だったと思う。(仕送りはしっかりもらってたけどな!)
当時、九州から東北の実家に帰る時の飛行機の空港が自宅から車で2時間ほどかかる場所にあり、その送迎を父が担当してくれていた。
10代後半か20歳になったばかりのわたし。多感な時期だ。そして特に自分から入りたかったわけではない大学でやりたくもない勉強をしている葛藤。もちろん勉強にはついていけてなかった。
友人関係にも悩んでいた。たぶんこの人に相談しても無駄だろうな、と思ってはいたけど、片道2時間の長い道中ふたりきり、話題が尽きた頃に勉強が大変なこと、友人関係に悩んでいたこと、その相談をしてしまった。
父は真剣に聞いてくれた。
そして真剣に答えてくれた。
「いいかハルカ。筋肉は1度痛みを受けて、そして修復されて強くなる。人間も同じだ、1度叩かれて強くなれ!!!」
わたしは泣いた。
それは感動の涙じゃなくて「ああ、この人にとってわたしは筋肉と同じくらいの存在なんだな…」と感じてしまったからだ。
父はその涙を感動の涙ととらえたようだった。そして最後まで口を開かなくなったわたしに対してずっとドヤ顔をしていたのを覚えている。
これがわたしが父に対して「この人に父親を求める事をするのは二度とやめよう」と思わせてくれた出来事だった。
絶縁されたり絶縁したり
その後、色々あって父親とは絶縁されたり絶縁したりを繰り返している。
わたしは彼を父親だと思っていないし、父親としての役割を果たしてくれたこともない(金銭面以外)くせに時折いきなり父親面されることに耐えられず、父親面されるとわたしが彼にキレてしまう。
また、彼もわたしをどう見てるかは知らないが、わたしが彼の思った通りの行動をとらないとキレて大喧嘩になってしまう。
親子としての相性は最悪なのだろう。
ただ、わたしは「よく知らない近所のオッサン」だと思えば父親のことは嫌いじゃないし、むしろ好きな方の人間だと思う。
きっと他人だったら仲良くなれる人種だったんだと思う、だって、やってることそっくりだしねw
たぶん一生わたしは父のことを父親と思う事はないと思うし、いつか分かり合える日が来るかもしれないし来ないかもしれない。
来て欲しいと思ってるかどうかもよくわからない。
でもいつか、全くの他人の友人として話せたらいいな、とも思う気持ちもある。
まったく、わたしの家族に対する感情は複雑だ。