娘が帰ってきて、わたしはTwitterをやっててよかった人間だと改めて思う
娘が10泊のキャンプに行きました - ひびはんせい←キャンプに行ったのはこの話
昨日、娘が10日間のキャンプを終えて帰ってきました!
いやー、短いようで短い、ほんとにあっという間な10日間でした。てゆーかなんなら1日帰ってくる日勘違いしてたからね。
帰ってくる前日にふとリビングでくつろいでる子供達を見た時に「あれ、子供が足りない…あ、そうか長女は明後日までいないんか」と思ってちょっと寂しいな、と思ったのに、その日の夜に同じキャンプに行ってる子のママと飲みに行った時に「明日帰ってくるねー」なんて、話になって「えっ嘘でしょ明後日までじゃないの!?」ってなって寂しさなんて吹っ飛んで、やべー、もう少し遊ぶつもりだったのに色んな事の時間調整し直さなきゃ…!ってなってしまったりね。
だけど、娘がどんな風に成長して帰ってくるのかちょっと楽しみで、ワクワクしている自分もそこに確かに存在していた。
娘が帰ってきた
娘を連れて行ってくれたスタッフさんが「15時過ぎに○○駅に着きます」と連絡をくれたのでその時間に合わせて駅に行った。
だけど、なかなか来ない娘達と暑さに負けてお茶を買いに行ってフラフラしてる間に娘達は駅に到着していたようで、だけど遠目だと娘達を娘達だと気づけなくて(みんなキャンプ帰り仕様の格好だからいつもと雰囲気が違う)しばらくぼやっとしてたら途中でふと「あれ娘達じゃね!?」と気づいて近寄ったらやっぱり娘達で、そして娘に万面の笑顔で「ママ!」と呼ばれ、おおーひさしぶりの娘だ!と思うと同時に娘はなぜかひとり長袖長ズボンに上着を持って長靴履いて、さらに麦わら帽子も前後ろ逆というトンチンカンな格好をしていて、わたしはひとり「なんでそんな格好なの!?」と笑ってしまった。
おもしろさを共有できるTwitter
わたしは元来結構ポジティブで、悲しい事とか嫌なことがあってもそれをおもしろく解釈して生きる事が出来る人間なような気がする。
それは元々持っていた性格もあると思うけど、Twitterでその解釈をアウトプットすることによっておもしろさを共感してもらえたり、他人と共有することによって消化できるからこそ、余計にそれが成り立っているような気がしてならない。
例えば、キャンプから帰ってきた娘がトンチンカンな格好してても「暑いのになんで!」って気持ちもあったけど、それよりも「うちの娘ウケるなー。たぶん頑固に北海道は寒かったからこの格好でいい!って頑張ったんだろうなー。強い!」って気持ちになったり(これはtweetしてない)、でもそれ以上にヤバかったのが、彼女、まあなんとなく予想はしていたけど、なんと10日間一切風呂に入らずに過ごしていたようでだいぶスメルがヤバい感じになって帰ってきたのだった。
おそらく、風呂に入らなくなり始めた頃なら「まじかよー、くさいしかぶれたりするでしょ…何考えてるんだよ…」みたいなネガティブ(な割に語彙力ないなわたし)な方向にとらえていたと思うけど、お風呂に入らないことに対して「娘は壮大な人体実験をしてるんだな」と割り切った今のわたしにとってはおもしろいことでしかなくて、Twitterに
【悲報】9泊10日キャンプから帰ってきた娘、10日間風呂入ってなかった
— ハルカ🐃🐂🐄 (@Haruchama) 2019年8月13日
【朗報】自宅に帰った娘、ソッコーで風呂に入った!
— ハルカ🐃🐂🐄 (@Haruchama) 2019年8月13日
【悲報】だがしかし、10日間で染み付いた焚き火の匂いが消えねえ!!!!
— ハルカ🐃🐂🐄 (@Haruchama) 2019年8月13日
こんな感じで書けるくらいには面白い話として受け止められるようになっていて、しかもそれをまわりがおもしろい話として受け取ってくれたり、あとはもしかしたら娘ちゃんヤベー奴だ…!って思ってる人もいるかもしれないけどそれなりに反応をしてもらえてわたし的にはこのおもしろ話をみんなと共有できて満足、みたいなそんな気持ちになっている。
Twitterはわたしの日記帳
2008年から始めたわたしのTwitterは、もはやわたしの日記帳で、フォローしてくれてる人もTwitterでどこかからやってきてフォローしてくれた人をはじめ、小中の同級生や大学の同級生もいるしゲーム友達、ママ友、元同じ職場の人、なんなら旦那の仕事関係の人もいる。雑多すぎる。
そんなだから悲しい事とか好きなアニメゲームの話は別アカでやろうかな、と思ったりした事もあったけど、もうわけるのとかめんどくせえ、わたしのTwitterはわたしのものだから好きにやらせてくれ!ってなって日記帳としてわたしの感情や思った事を吐き出す場として活用している。もちろんコミュニケーションの場としても活用してる。
そしてわたしは感情をアウトプットすることによって自分を冷静に見れる部分があるようで、嫌だなーと思ったりなんで?って思ってることをバンバン書いて客観視して、そして考え直したり、あとは他の方に解決法を教えてもらったり、なんかそんな感じで今を生きていて、娘が不登校だったり下の子達が暴れん坊だったりする今をTwitterで吐き出す事によって、なんとか楽しく生きられてるんだろうなーと感じるようになってきた今日この頃。
特に10日も風呂に入らず真っ黒(汚れの方)になって帰ってきた娘に対してポジティブな気持ちで迎え入れる事ができたのは、少なからずTwitterのおかげもあるよなーと思った。
ありがとうTwitter
旦那と付き合い始めた頃に始めたtwitterとはもう11年の付き合いで、わたしの酸いも甘いも全てここに詰まってると言っても過言ではない関係だ。
国家試験を受けるのを諦めようと泣いた日も、受かって嬉しかった日も、旦那と入籍した日も、東日本大震災で泣いた日も、3人の子供を妊娠したり産んだ日の事(3人目とか無痛分娩だったから余裕で実況したりもしてた)も、全部Twitterに詰め込んである。
アイカツにハマりすぎてアイカツ見ながら「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」みたいな事をツイートしすぎてリムーブされまくった事もある。
スプラにハマってスプラの勝敗しか書かなくてリムーブされまくった事もある。
それでも今まで続けているのは、その時々に出会いなんとなく見守って励ましてくれる人達のおかげだったり、あとはここはわたしの日記帳!と割り切って使っているからな気もする。
わたし的にTwitterは(フォローしてる数も多いから)、雑踏の中で好きな事を喋り続けてその話に興味を持った人が話しかけてくれたり、逆にその雑踏の中から好きな事を話してる人を見つけてわたしから話しかけたり、そのおもしろい話をただただ聴いておもしろいなー、いいなー、と思っていいね!ってしたりする場で、フォロー数が多すぎてタイムラインが追えない分なんかそんな軽い気持ちで使う事ができてるなー、って思う。
なんだかんだ11年も続けてしまったTwitterだけど、そのおかげで今を楽しく生きていけるて気がしてならない。
ありがとうTwitter、そして関わってくれている全ての人にもありがとうを贈りたい。
そんな気持ちで今日もTwitterでわたしはさえずるよ!