ひびはんせい

3人の子のカーチャン。みんな違ってみんなcrazy

メンタルクリニックで心理テストはわたしの真理を突いてきた

自分と家族の思考傾向を知ろうと、夫が知能検査、心理テストを受けた後に軽い気持ちでわたしも受けた知能検査と心理テスト。先日その結果を心理士さんから説明してもらいに行った。

結果的にはわたしは思ってた通りADHD傾向アリで、まあそれは予想通りだったから良かったんだけど、問題は心理テストの結果の方で、昔からずっと抱えてて目を逸らしていた自分自身の事が浮き彫りになってしまって今現在パニクっている。

バウムテスト、ロールシャッハテストの結果を受けて

検査結果を話してもらった中でかなり衝撃だったのが、木を描くテスト(バウムテスト)で解釈された「社会的な自分と本当の自分を分けている可能性がある」という一文だった。

わたしはその木を描く時に「丁寧に描いてくれ」と言われ、丁寧ってなんだ?とよく意味がわからず大きな木の横に小さな花を描いたわけですが、これってかなり珍し描き方らしく、大きな木は社会的なわたしで家族の問題をなんとか解決していきたいという気持ちがあるけど、実際のわたしはその横の水(愛情)をかけて欲しい小さい花なのでは?と言われて、最初はよくわかんねえな、と思っていたけど、ふと、もしかしたらその通りなのかもしれない、と思うようになった。

 

というのも、もうひとつ受けたロールシャッハテスト(無作為にインクを垂らしたものを半分に折って、それが何に見えるか答えるテスト)の結果で、わたしは人との付き合い方をすごく近い付き合い方をするかめちゃくちゃ遠い付き合い方をするかの極端な事をやりがち、そして、不要だと思った物はすぐに切り捨てがち、みたいな結果が出てしまい、めちゃくちゃ思い当たる節がある…!となったわけですが、それがどうバウムテストの結果と繋がるかと言うと、

わたし、昔から他人とどう付き合えばいいかわからなくて(あとかなり人間不信な面もある)、心の距離をかなり遠くに置いてしまいがち

なんですよね。あと「こいつは自分に必要ない」と思うとすぐ切っちゃうとか。

本当に心を許せる友達なんてほぼいないし、いると言えばお互いに全く興味がない幼なじみ。

彼女には本当の自分を見せられる気がするけど、その本当の自分ていうのがまあしゃべらないし寝たくなったら寝るし勝手にマンガ読んでご飯食べるとかいてもいなくても関係ない、みたいな間柄の人。

でもお互いに興味がないから連絡ほぼとらないし、今どうしてるのかは他人伝てとかSNSでうっすら知ってる、みたいな感じ。

でも、その位の距離感が心地いいわたしにとって、本当の友達と呼べるのは彼女くらいしかいないかもしれない。わたしの中の友達の定義がとち狂ってるとしか思えないけどw

 

もちろん最近仲良くしてる人達のことも友達だと思っている。

だけど、心理テストの結果を受けて、この最近の友達にはバウムテストで出てきた「社会的な自分」を見せてるだけなのでは?という疑問がわいてきた。

 

というのも、最近のわたしを知ってる人には信じられないかもしれないけれど、大学生くらいまでのわたしはクラスの仲のいい友人や自分の彼氏とは話せるけど、その友達の友達や彼氏の友達と話すという事が一切できない、という酷い人間だった。

これがどうしてなのか自分でも全く理解できなかったんだけど、バウムテストとロールシャッハテストの結果を受けて、もしかしたら当時は「社会的な自分」の幅がめちゃくちゃ狭かったのでは?と言う、仮説にたどり着いた。

 

当時のわたしはバイトの面接の受けがとても良かった。

だけど、面接を通過しバイトが始まりその面接してくれたとの距離が近づいた途端、その人とのコミュニケーションが全くとれなくなる、という事態を何度も経験した。

当時はどうしてかわからなかったけど、今ならわかる。

本当の自分と社会的な自分との乖離が激しすぎて、「その間の自分」というものがすっぽり抜けていたわたしには中途半端な距離感の人間とのコミュニケーションをとる術が一切なかったのだ。

 

イメージ図としてはこんな感じ。

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この空白地帯の距離感な人たちとはどう接すればいいかその頃のわたしには全く分からなくて、バイトを始めてみても最初は社会的な自分として接することができた面接官の人がわたしの空白地帯に入ってきてしまい、どうすることもできなくなってしまったのだと推測してみた。

 

現状、わたしの空白地帯はたぶんこのくらいまで狭くなってて

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なんとか社会的に友人を作ったり働いたりできているわけだけど、やっぱりどこか他人との距離をうまくつかめなくて、日々悪戦苦闘してると言わざるを得ない。

 

 

なんで自分がこうなってしまったか、というのも何となくわかっていて、やっぱりこれも親との関係だと思うんだよね〜。

ほんと親子関係って、将来の子供の価値観とか人間への信頼度とかぶっ壊すからこわい。

 

わたしは何度も、親から「あんたなんか産まなきゃよかった」とか「死ねばいいのに」みたいな事を言われていた時期がある。と、同時に身体的虐待もされていた。

その時に生まれたのが「自分を守れるのはわたしだけ、自分を裏切らないのはわたしだけ、産んだ人にすら愛されない自分を愛せるのはわたししかいない」という強い想いだった。

血の繋がった親すら信用出来ないのに他人なんてもっと信用出来ない。

そんな想いを抱えて生きてきたずっと前のわたし。その時には完全に社会的な自分は捨てていた。

だけど、運良くたくさんの良い人に恵まれて、少しづつ「社会的な自分」を成長させることができて今の自分ができた。

そして心理テストを受けて、気づいた未だにある「社会的な自分」と「本当の自分」。そこにはまだまだ乖離があって、じゃあ本当の自分てなんなの?ってなってるのが←イマココ。

 

昔大好きだった映画シュレックの主人公シュレックも言っていた。(たぶん。)

「タマネギの皮はどこまでが皮かわからなくて、むいてもむいてもどこが身かわからない。自分も皮をむいてみたら実は中身は空っぽなんじゃないかって思う」

シュレック (吹替版)

シュレック (吹替版)

 

そのシュレックの気持ちが今、痛いほどよく分かる。

でも皮をむいたシュレックにはきちんと中身があってフィオナ姫と結婚できたけど、でも映画の主人公でもなんでもないわたしにはちゃんとした中身があるのかな?

きっと、社会的な皮をむいてむいてむいたその中から出てくる本当のわたしは、バウムテストで描いた小さな小さな花なんだと思う。

心理士さんは「本当のはるかさんはその花に水をあげて欲しいと思っているのかもしれません」と言っていた。

わたしはその本当の自分に水をあげられることができるのかな?

やってみないとわからないけど、本当の自分と向き合うのは本気でしんどい作業になりそう。

 

1度卒業したカウンセリングだけど、また通うことになりそうだ、という結論に達した心理テストでした。

 

心理テスト、おもしろかったからみんなも受けてみてね🤯👍🤯

おしまい。