ひびはんせい

3人の子のカーチャン。みんな違ってみんなcrazy

🎊㊗絶縁記念日🎊㊗

昨日の夜、思い余って

「このまま関係を継続できるかできないか?」

「できないならもういっそ無関係の他人になりたい」

「よし、電話しちゃお!☆彡.。」

の衝動性三段活用(?)で、ノリと勢いで親に電話したところ

 

母「なんですか?」

わたし「いや、今後のこと話したいと思いまして」

母「わたしは話すことないです。あなたの好きなようにすればいいって言ってるじゃない」

わたし「いやだから、このままだとあなたとは今までの関係が続けられないからあなたと話したいって言ってるの」

母「あなたって何?まるで他人みたいじゃん。絶縁してるわけでもあるまいし」

わたし「いやだから今まさに絶縁したいって話をしたい」

母「勝手にすればいいじゃない!こっちはしないけど!!こっちは連絡なんてしてないし、あんたが勝手に連絡してきてワーワー言っている!!!」

この時点で、冷静に話すつもりだったけど完全にわたしも頭にきてしまって

わたし「うるせえな、こっちは歩み寄ろうと何回もしてるだろ!逃げてるのそっちだろ!!」

母「わたしは話したくないって言ってる!」

わたし「そうやっていつもわたしから逃げて!人をないがしろにするのはいい加減にして!どんだけわたしのこと傷つければ気が済むの!?還暦祝いだってそう、やったくせにやってないって言い張る!」

母「だって還暦祝いやってないもの!おとうさーん、おとうさん、還暦祝いなんてやってないよね!?」父に電話をかわる

父「還暦祝いなんてやってねーぞ」

わたし「弟はやったって言ってる」

父「あれは誕生日のお祝いで、赤いちゃんちゃんこ着てない」

わたし「わたしはあげるつもりだったよ赤いジャンパーを弟と。弟と還暦祝いやるつもりだったからね」

父「とにかく還暦祝いはやってない。おめえいちいちうるせえな、なんなんだよ?」

※補足 両親の誕生日の時期、母方祖父がいつ亡くなってもおかしくない状態で、わたしには東京にはなかなか来れないと言っていた。また、亡くなるまではお祝い事は控えようと言われていた。その時期に両親は上京し、弟と還暦祝い(誕生会?)をやっていたという経緯がある。

わたし「てゆーかわたしはお父さんと話す気なんてない。お母さんにかわって」

父「お母さんもおまえと話す気なんてねーってよ」

わたし「ゴチャゴチャうるせえな、さっさとかわれよ」

父「うるせえのはオメエだよ、俺の事父親だと思ってねーんだろ?」

わたし「よくわかってんじゃん、思ってねーよ」

父「いい加減にしろよテメーコノヤロー!!!もう二度と電話してくんな!」ガチャ

 

 

1回目の電話終了、即リダイヤル

わたし「おい、オカン出せよ」

父「うるせえ!!!!!!!!」ガチャ

2回目の電話終了、即リダイヤル

父「はい」

わたし「さっさと苦しんで死ね!!!!!!」ガチャ

 

 

 

     終   了。

 

 

 

35年間、どうもありがとうございました🥰

無事(?)二度と電話しないで済む関係になれましたので絶縁完了です。実家に帰らない許可も頂きましたので本当にどうもありがとうございます。

弟に対してもキレていたわけですが、弟にもあえて電話して(というか今後親のことは弟に丸投げになるので)、事の経緯を説明し(もちろんオメエも悪かったんだよって事も話した)、それでもわたしの記憶の中の弟よりも現実の弟は大人になっていて「それは絶縁しゃーなし」「あいつらおかしいからね」「親が危篤になったら連絡するね🥰」との優しい言葉をいただいて、とりあえず弟とは和解。

「親が危篤の時に連絡来たら親のこと罵倒するけど大丈夫?笑」

って弟に半笑いで聞いたら

「別にいいんじゃね?笑。びっくりして逆に生き返るかもだけど笑。」

「んじゃー死んでから連絡してー笑」

みたいな笑い話ができたのでよかった。

 

 

やっぱり同じ親に育てられた者同士、分かり合えるところも少なくなくて、(ただしわたしがめちゃくちゃに殴られてた時期の記憶が弟は少し飛んでるらしい。自分に被害が来ないように極力静かにしていたらしいので、記憶が解離してる可能性あるなと思った)とりあえず弟と話して和解できたのは本当によかったと思ってる。

 

 

おかげさまで今日は深い睡眠がしっかりとれた。

これからは前を向いて生きていけそうです。

またひとつ、肩の荷がおりた。

 

 

 

おまけ

 

 

ストレスの少ない世界線に片足つ突っ込んだ!!!!!