ワガママと個性
ワガママと個性の違いは難しい。
他人から見るとわたしの子育ては「ワガママに育てている」と見られることもある。
わたしの子供達は特徴的で、個性的だ。でもこれって「わたしの子供だから」ではなくてきっとたぶんみんなそうなんじゃないかと思う。個人差があるだけでね。
「個性」を許さず、「集団」を意識して生きていかせる方がいいのか?それとも「個性」を伸ばしていく方がいいのか、わたしにはわからない。
わたし自身も発達障害で、幼い頃から生きづらさを感じていた。
幼稚園の頃からいつも浮いていて友達も少なく、時にはいじめられる事もあった。
小学生になってからはいじめられることはなくなったけど、やっぱりどこかみんなと馴染めなくて「わたしはどうしてみんなと仲良くなれないんだろう」といつも悩んでいた。
それは中学高校大学でも同じで、いつもどこか周りから浮いた感覚があって「どうしてみんなと同じようにできないんだろう」と思うこともあったし、大学生の時は誰とでも仲良くなれる友達を見習って誰にでも「おはよー!」と声をかけてみるチャレンジをしたこともあったけど3日で熱を出してダウンした。身の丈に合わないことはやってはいけないと悟ったのはこの時だ。
もしもわたしに子供の頃に選択権があって、違う学校に行けたならきっとそうしていたと思う。
現実にはわたしの地元は田舎で、公立の小学校中学校がひとつしかなくてずっとそこに通い続けるしか選択の余地はなかった。幼稚園から中学までをほぼ同じメンツで過ごすしかなかったから、気の許せる友達なんてほぼできなかった。
小学生の頃から忘れ物も多く、帰り道にみんなに置いてけぼりにされたり、泣きながら帰ることも多かった小学生の時のわたし。
中学に入ってからは家庭環境が荒れまくって、荒れた友達とばかりつるんでいた中学生の時のわたし。(ちなみにその頃付き合いあった人とはもう連絡すらとってない。亡くなってしまった子もいるし、行方不明になってしまった人もいる。マンホールを作りに行くと言って歌舞伎町に中学生の頃から出入りしていた人は今どうしているんだろう)
高校はそこそこ普通な所に入り、普通の青春を送るかと思いきや、パチンコ屋店員の走り屋と3年間付き合っていたのでマトモな青春を過ごしていない。でも、その時にできた友達には色々救われたと思っている。今ではそんなに付き合いはないけど、やっぱりわたしにとっては大切な人達だと思う。
大学は親に「このまま捨てられるか、大学に行って俺たちの望む資格をとって養われるかどちらかを選べ」と言われて、親の言いなりになる道を選んだ。
自分で行きたい学校ではなかったから、やっぱりそこでも浮きに浮いた。そこでもわたしは学校内ではなく、学校外に11歳歳上の彼氏を作り、学校の人とはほぼ付き合わない、という道を選択した。
それでも、大学の時にできた友達中には未だに仲良くしている人もいるし、結果資格を持っているだけでマトモな人間だと他人から思われるから行ってよかったのかもしれない。
そんなわたしの半生でここからは完全なifになってしまうんだけど、もしも学校や生きる方法を選べるような違う環境で育っていたらわたしはもう少し生きやすかったんじゃないか?こんなにこじらせることもなかったんじゃないか?と、思わずにいられない日もある。
可哀想なことに、わたしの娘も学校生活に合わない個性を持って産まれてきてしまった。しかも、わたしよりもハッキリとそれを伝えられる能力を持ってしまって。
それを許す事は彼女にとっていい事なのか悪い事なのかわたしには全く判断がつかない。
ただひとつわかるのは、合わない環境にずっといると人間は壊れてしまうということ。
わたしはずっと壊れていた側の人間だった。子供にはそんな想いをさせたくない。そう思うことはわたしのワガママなのかな?わたしにできるのは、子供に合った環境を用意することだと思っているけど、合わない環境から逃がすことは子供のワガママを増長させるだけなのかな?合うところに逃すのは個性を伸ばすこととは違うのかな?
本当にわからないし難しい。
マトモに育ってないからこそ、マトモに育てる方法がわからない。
自由と無秩序は違う。だからこそ、わからない。