虐待のニュースを見て思う事
今日テレビを見ていたら、「性的虐待を受けていた子がその自分の様子を横から見てた」という話を見て、わたしも親に殴られてる時に天井に浮いて殴られてる自分を見てたなーと思い出した。
殴られてるわたしは抜け殻で、いくら殴られても痛くなかった。
殴られてる自分を見て「殴りれてるなー」「いつになったら気が済むのかなー」とぼんやり自分を見ていた事を思い出す。
殴られていたわたしは誰だったんだろう。
そのおかげで痛みに強くなり、病気になった時もギリギリまで痛みを我慢して死にかけた事もある。
元彼はわたしが前歯を折ってもケロッとしていたのを見ておかしいと気づいてくれたけど、普通の人は気づかない。わたしはどこか壊れているのだ。
体の痛みに気づかなくなると心の痛みにも気づけなくなる。立ち直るまで20年近くかかった。
本当はもしかしたらまだ立ち直ってないかもしれない。
わたしは虐待で死んでいない。死んでいないから虐待はなかった、と親は言う。
なるほど、その理論は合っているのかもしれない。でもわたしには理解できない。
今、テレビのニュースでやっている女の子が虐待死した事件、やった本人は「しつけだった」と言っている。わたしの親も同じ事を言っていた。
だけどわたしは死んでいない。
虐待してる(してた)人の中にはこのニュースを見てホッとしてる人がたくさんいるんじゃないかな、と思う。
だって、自分の子供は生きているから。
自分は殺すほど酷いことをしていないから虐待はしていない、だってあなたが生きているのがその証拠じゃない。
これはわたしの親がわたしに言った一言だ。わたしにはよくわからない。
死んでしまった子は辛いなんて一言で言い表せない事態になってしまった。わたしには言葉も出ない。そしてその影に、同じような事をされて生きている苦しんでる人がたくさんいると思う。
虐待を今現在受けている子達を救うのはもちろん、過去に虐待を受けて生き残っている人達を救う何かができたらな、と心底思う。