学校というシステムと不登校
娘が不登校になってから、学校という場所のことを考える事が増えた。
公立の学校って、学校の先生にも直接言われたけど「その年齢の平均的な子供の能力に合わせて作られた場所」であって、それ以上だったりそれ以下だったりする子には合わない、苦痛な場所になる可能性のある場所なんだよね。
イメージ的にはこんな感じ。
(明らかに平均的領域の太さ間違えました。。もっと絶対太い。心の目でもっと太くして!!)
適応出来る子にはとても楽しくて学びも友達もできてすごくいい場所だと思う。いろんなイベントや経験もできるしね。
平均より下の子に対しては、支援センターや特別支援学級があったりそれなりの支援が用意されている(こちらに関してはそんなに知識がないので間違っていたらすみません)のに対して、平均以上の子に対する公的な支援ていうものはほぼ存在してないんですよね。自力でどうにかしていくしかない感じ。
学校っていう不特定多数の子供達に学習をさせる場っていう特性上、平均的なところに合わせていくっていうのはわかる。
じゃあそこからはみ出た子は?
ここからはみ出るっていうのは、知能的な問題だけじゃなくてADHDやASDの発達障害を持つような子や、その子供たちの性格性質も関わっていくわけ。
45分の授業に耐えられない、むしろそれだと足りない、休み時間に外に出ないといけない意味がわからない、ご飯を食べるのがゆっくりで給食の時間が足りない、とか。
そういう子達をなんとか先生達の指導で平均値に持っていこうとして、無理な子を切り捨てていってるのが今の学校っていうシステムなのかなー、と不登校児を抱える親としては感じてるわけです。
そこで切り捨てられた子供達は様々なところに振り分けられて、でも振り分けられない子は?
そういう子達は結局「不登校」っていう道を選ぶしかなくなるんだよなー、と思う。
わたしは娘に「学校は行かなくてもいいよ」と言っている。
なぜなら、娘の性質と学校のシステムが全く噛み合ってないと思ったからだ。
これは最初からそう思っていた訳じゃなくて、何度も学校の先生やスクールカウンセラーさん、娘の主治医や心理士さん、色々な人と話し合いをして、結果、そう判断するしかないな、と感じたからだ。
世の中には普通に生きていけない人もいる。
学校生活における「普通」も誰かが考えた「普通」であって、やっぱりそれからはみ出てしまう人っていうのはたくさんいるはずなんだよね。
それは大人の社会でも同じで、みんなが思ってる「普通」からはみでてしか生きていけない人だってたくさんいるはずなんだよ。
それを「おかしい」とか「やばい」とか「変なヤツ」って切り捨てないで「こういう人もいるんだなー」くらいの軽い気持ちで受け流してくれる社会になれば、もっとみんな気軽に生きていけると思うんだけどね。
何が言いたいかよくわかんなくなってきたけど、今の学校のシステムじゃ不登校児がたくさん増えてもしゃーない!えらいひとたちもっと考えて!
あと先生たち激務すぎ!もっと休んだ方がいいよ!
そんな気持ち。