ひびはんせい

3人の子のカーチャン。みんな違ってみんなcrazy

海外の人に不登校の概念が伝わらない

最近、子供達の将来の事も意識して国内外問わず色んな人達と会う機会を増やそうと思って行動した結果、色んな国の人と話す機会に恵まれて、その度に

「あなたの娘は小学生?学校楽しんでる?」

みたいな事を聞かれるんだけど、

「わたしの娘は学校に行ってないの。彼女は学校が合わないの」

という説明をすると

「Why!?」

というような反応または

「???なんで学校行けるのに行かないの?」

みたいな反応をされる。

 

勉強したくてもできない国の人達

いわゆる後進国や紛争地帯の人達と話す機会もあった。

彼らは学習することにより貧困から逃れられる事を知っている。故に、この先進国と言われている日本で学校に行ける環境にあるのに行かない娘の行動が理解できないようだ。

ベトナムから来た大学生の女の子(この子はかなり優秀な人らしく、国からの選抜で日本に勉強しにきているようだった)は「不登校」についてわざわざ英語で書かれた論文をネットで探して理解しようとしてくれた。そして「これはすごい日本の問題だ」と理解してくれた。

ミャンマーから来た若い男の子にはわたしの英語がつたない、そもそも不登校という概念がないからかたぶん全く理解して貰えなかった。

あとカンボジアの人達にもたぶんよく分かってもらえなかったんじゃないかな。彼女達は自立するために勉強をし、様々なことを自ら学んでいた。

でもそれはほんとうにしかたのないことだなー、と思う。

 

学ぶ機会があるのに行かない子供、行けない子供。

逆に学びたいのに機会がない人達。

全然交ざり合わない。

 

そもそも日本はなぜ不登校が問題になっているのか?

他の先進国に比べて日本は不登校児の数が多く、また対応も遅れている。

これはなぜか?

答えは簡単。

子供は学校に行くのが当たり前、とずっと前からそう定義されているからだ。

2017年に教育機会均等法(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律の公布について(通知):文部科学省)というものができたわけですが、これを知ってる人間てどのくらいいる?

わたしも自分の子が不登校になるまで知らなかった。

この法律、めちゃくちゃ簡単に言うと不登校だっていいじゃない、人間だもの。疲れた時は休めばいいし、合わない子には配慮してやろうぜ。

って感じなんだけど、いかんせん法律だけが先走りしてしまっていて、例えば海外では不登校(というよりホームスクーリング)の子たちに許されている、というかちゃんと勉強してるよー出席したのと同じ扱いにするよーっていうホームスクーリングや塾やフリースクールでの学習を学習したことにしてもらえる制度が全くできていない。

 

日本の制度は平均に合わせていくものが多く、そこから外れた人達への援助がものすごく少ない。

いじめだけではなく、金銭的な理由や性格的な問題(うちもそれに当てはまる)ような子達へ「学校に無理して来なくていいよー」って言ってくれるようになったのはいいけど、そのあとが家庭に丸投げになってるのが大問題。

そして、家庭に丸投げされた大多数の子には行き先がないのだ。うんこ。

 

先にも述べたように、他先進国では学校に行かなくてもなんとかなる制度がある。

年齢ではなく学力による学年分け制度なんてものもある。

日本はいつまで年齢でわけた教育していくつもりなんだろうね。少子化で子供の数減ってるはずなのに不登校になる子の割合が増えてる現実をもっとよく見てほしい。

 

 

 

 

そんなこんなで大筋からちょっと外れたけど、つまりそういう感じで、そもそも外国には不登校の概念がなかったり、行けるのに行かないのなんで???ってなってしまうってお話でした。

 

ほんとはわたしひとりでわーわー言っててもどうにもならない問題なんだけど、ひとりでもわーわー言ってないと何も変わらないからね。

わたしは今日もひとりでわーわー叫ぶよ。