大切なのは壁をなくすことだと思う
最近、娘が「わたしは変わってるから」とか「わたしは不登校だから」とか言って、色々なことをやらなくなってきている。
「わたしは変わってる」って言うのは魔法の言葉で、「人と違うことをしても許してもらえる」っていう免罪符になり得る言葉だとわたしは思っている。
それは時にいい意味でも悪い意味でも使える魔法の言葉だと思う。
変わっていることは悪いことでは無いと思う。
というか、人は多かれ少なかれ「変わっているところ」を持っている。
それが、大きいか小さいか、社会的に許されるか許されないかっていうのは環境やまわりの人間関係、その他諸々の要因が絡み合っているから一概にそのせいで生きていきやすいかどうか、っていうのは人それぞれ違うと思うけど、それでも「わたしは変わってるから」と言って他人と壁を作るのは違うと思う。
「わたしは変わってるからこういう人とは合わない」
「わたしは変わってるからこういうことはしない」
「変わっていること」を免罪符に何か新しいことや新しい人と話す事を避けて生きるのは本当にもったいないと思う。
できたら娘には「変わっていること」を強みに他人と壁を作らず、グイグイとたくさんの事を経験して他人に「強烈な人だなw」くらいの感覚の記憶に残る人として生きてもらいたい。
どうせ変わってるって自覚があるのならそのくらい振り切ってほしいと思うのは親のエゴなのかな。
それでもわたしは「自分は変わっている」という免罪符を上手に使って、他人や新しいことへの壁をぶっ壊して楽しく生きていって欲しいと思っている。
小2に対して求める事としてはくっそ難しいと思うけど、それでも、あえて、その免罪符を上手に利用して生きていって欲しい。