ひびはんせい

3人の子のカーチャン。みんな違ってみんなcrazy

戦争を生き抜いた人には勝てる気がしねえ

じーさんの一回忌があと1ヶ月ちょいと近づいてきてる中、わたしの中の不安とか恐怖とかそういう負の感情が心の中を渦巻いてきて「やっぱり行きたくねえええ!」という感じになってきた。

その日1日を乗り越えることは出来るかもしれないけど、その後の生活ね、それを考えると「絶対メンタルおかしくなるじゃん…わたしには無理じゃん…」ってなってきた。

だってわたし、その一回忌の日を乗り越えたってそのあとに普通の日常が待っているのよ。個人の「ハルカ」ならいくらでも1日仮面をかぶっていい娘のふりをしてその後1週間くらい寝込むとかできるけど、今のわたしにはもう家族があって、家族を含めた「日常」の生活を送っていかないといけないわけで、それ考えたら「やっぱり一回忌で親とか親戚に会うのなんて無理ィィィ!」ってなったわけですよ。うんこ。

 

それを考えてたら、善は急げ(衝動性が過ぎる)なはるちゃま、

「よし!ババアに一回忌行かないってキャンセルしよう!」

と思い立ってばーさまに電話してしまったわけですよ。

まあそしたら出てくる綺麗な言葉とわたしも苦労したんだから、というお決まりの文句ね。

綺麗な言葉ってのは

「家族なんだから、そう簡単に切れるものじゃない(うるせえ、家族だって切る時は切る🔪)」「最後に頼れるのは家族しかいない(ほんとうに無理!ってなった時に頼ったのに切ってきたのは親の方)」「血が繋がってるんだから(だから何?)」

って言う、なんかよく聞く綺麗な言葉の羅列よ。だが全くわたしの心には響かねえ。許せ、ババア。

 

そして、問題なのは「わたしも苦労した」方の話しよ。

今年85歳になるばーさまは、戦争を生き抜いてきた世代の人だから苦労の仕方が現代人と違うわけ。

「食べるものがなかった」「疎開した」「山の中を毎日何キロも歩いて食べ物を買いに行った」とか、

時代が違いすぎて、わたしの苦労と比べるのもおこがましいっていうか知らねえよ!そこと比べられたらわたしどうしようもなくない!?!?!

みたいなね!www

そしてたいていこれの結び言葉は「だから、ハルカも我慢しなさい」になるんだけど、わたし個人の考え方としては

自分が苦労したからと言って他人に苦労を強いる意味は全くない

って感じなんだけど、こと戦争の話となると強く言えないって言うか、いやそれめっちゃズルくない!?それ以上に悲惨な事ってなかなかないじゃん!!!ってなってぐぬぬってしまう。

 

自分のつらさと他人のつらさを比べることほど無意味なことってないと思ってるんだけど、それでも戦争はないわ。言葉が出ねえよ。

わたしは家族間の負の連鎖のひとつに「戦争」も大きく関わってきてると思ってるんだけど(考え方が歪む、トラウマなどなど)、戦争当事者に

どんなつらいことも我慢しなさい。最後に頼れるのは家族しかいない。

とか言われると返す言葉が見つからない、いや結構言い返すけど、それでもこの人達のつらさや苦労はわたし達が想像してるよりもっとでかいもので、そしてもうあとは死ぬだけ(酷い言い方やな)なのに未消化な感情が多いし闇が深そうで聞いてるわたしはもぅムリ…病む…リスカしょ…(いやしない)ってなる。

 

そんなわけで、戦争を経験してる人には勝てない。

つらさの質が違う。質が違うならば相手のつらさを認めなくていいってわけじゃないと思うけどね。

それでもほんと、世代間の考え方の差の大きさについて考えさせられる出来事でした。

 

そしてアレよ。ほんと戦争なんてろくなもんじゃねー。歪みしか生まない。

その歪みは今も形を変えて、世代間連鎖で下の世代に受け継がれ続けてるよ。

あー、ほんとわたしはこの歪んだ世代間連鎖を、わたしの世代で終わらせたいと強く思う。

戦争は良くないし、虐待も良くない。強く生きるんだ、わたし。